2013.11.25

なぜ個展だなどと言い出すことになったのか
なぜ決心を固められたのか、
自分は、何を考えているのか…
弁明、ではなく、決着をつけるための覚書 






















まことに、わたくしごとではありますが、友人と二人で個展ならぬ、二人展をすることになりました。また後日あらためて告知する予定です。
なぜそう決意できたのか
たぶん今後の自分の生涯において、重要な瞬間になったのではないかと思って、自分にとって、「今」絵をかくことがどういうことなのか、はっきりさせたいと思い、頭のなかみを文字に起こします。くだらないことです。自分でもなにがでてくるのかわからない。弁明ではなく、決着を。納得させなければならない存在に向けて、気持ちの整理を。伝えなければならない日に向けて。











































































 

























































































































イエスと答えたにも関わらず何度も後悔しておぞましくて、何度も逃げようとしたのに、結局今日、なぜ決断できたのか。自分の絵に自信があったのか。そんなに、人に見られることに固執する癖があったのか。ちょっと絵を褒められるようになって天狗になっていたのか。そんなようなことなのかと思った。しかし違った

自信なんて

あるわけが

ない



絶対だ。ない。絶対ない。

あった ためしが ない



だってそうだ、
絶対そうだった
ピクシブで閲覧回数が回れば回るほど恐ろしかった、
なんでこんなもんこんな人数だ見てるんだと
意味が解らんと
だからきっとそうだ、絶対?そうだ、自信なんてあったためしがない



絵をかいて描いてるときに、そのあとに、残るものはいつも、快感だけだった
たぶんずっとそうだった
残念ながら言われて気が付いた 
何故、いまそれどころでないのに、絵が描きたくて描きたくてこんなにつらい思いをしているのか。なぜ時間がないのか。なぜ他にやらなければならないことが山積みになっているのか。今、かかなければ、今描かなければ、今描くものは絶対に表現しきれないのに。なぜ、今、絵がかけないのか。と、つらくてつらくて、そもそもなんでつらいのか、と

自分が、気持ちいいから、やめることができない、
ずっと、物心ついたころから、だからずっと描きつづけていた。ただそれだけ。人に褒められそれが原動力になることも確かにあったけれど、よくよく思い返せば人に見られることの無い絵が山ほどころがっている。だからここで気づいた。人に見てもらうために、褒められるために、認められるために描いてるわけではなかった。絵だけは、どんなに体をだめにしようと、描くのをやめることができない。できない。これほど強い気持ちはなかったと思う。今までの人生に。こんなに何度も何度も。
できない、今やめることはできない。絵を描いているときはいつでもその強い意志に従ってきた。そういえばそうだった。ずっとずっと、昔から、



でも何か、絵に対する感情が変わった瞬間があったのは確かだ。ネットにあげるようになってからだ。ブログを作って絵を上げるようになったころ。自分が無我夢中でつくったものが人の目に入るというプロセス。誰か知らない人間が自分のつくったものを見るというプロセス。できるだけ人に見えないところにおいて、たまたま同じみちを歩む人の目に入って、それがその人に伝わって、それがときたまリアクションとして帰ってくる感動とでもいうのか。大勢の人間に見られたいという欲求はなかったらしい。よくわからない欲求だ。なにを考えて絵をかいてたんだ、過去の自分の快楽が今更ながらよくわからない
でも過去の自分も今の自分も、欲求自体は大差がない。気がする。
結局今だって上にあげたようなよくわからん欲求を持っている
こんなじみーなブログにこんなしょうもないことを、だれが見るでもないのにえんえんと書きつづけている。
なんかそういうとこ、ほんとにガキのころからまったくかわらない







表現欲求だろうか。

考える。構想する。かきおこすための練習をする。かきおこす。人の目に入る。
までの一連の流れで完結する。
そう考えれば、少人数であれ人の目にはいっていることで満足していることに納得がいく。 目に入ることもプロセスの一貫だ。ということは、表現をしたいという欲求。音楽、小説、映画だって共通する、、、





最近漫画を描くようになって、自分の表現を自分の絵におとしこめる可能性をみた。
それからますます、絵を描くことに対する欲求が強くなった。
自分の考えたことをどれだけ絵にのせられるのか。描けばかくほど過去のものが醜く感じて、まだいける、まだいける、といたちごっこがはじまって、私は今、止まることが出来ないんだと、

もはや洗脳のよう。先走った妄想に実力が伴わない。自分が不完全なことはわかっている。こんなものではない、まだ先にいける、まだ自分は進歩することが出来る、と、表現への追及に病的なまでに固執しているんではないか。




色んな人間をみるたびどうしてこんなに私の心を動かすことが出来るのかと思い続けてきた。大好きなポールマッカートニーもだし、世話になった先輩もだし、あこがれの絵描きさんもだし、ギターにとりつかれてる友人も、絵にとりつかれてがんじがらめになっている友人も、好きでしょうがなくて自分の大好きな学問を学び続ける友人も、世界中飛び回って自分の世界を広げ続けてる友人も。自分の好きなことをして、人の心を動かす人間が、こんなにたくさんいる。自分をストイックにおいこんで、自分を完成に近づける人間が、くさるほどいる。自分の大好きなことを!なんて羨ましいんだと。
なんだか今になってそういう人たちの気持ちが分かった気がした。
やめることができない。
それは快感で、欲求でやめられないから追及して追及する
だからそれはとても魅力的に見える。私にはできないことだから。
だけど、私にとって、快感で、欲求であるそれは「絵」だった。そういうことだ。
羨ましいと思っていたけれど、自分も知らぬ間に、とりつかれてる側の人間だったということに気が付いた。好きな事にとりつかれてる意識は最近持った。実はもっともっと前から、そっちの側の人間だったのか、自分は




ああ、なにをこんな時間まで考え込んで
あほらしい

欲望に正直すぎる。
ほんとに快楽あって絵を描きつづけてたんだな
やっぱそうなのかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
下手なのはわかってる、わかっているさ、でもやめられない、気持ちがいいのだから
どんなに自分の実力のなさがわかっていても、やめられない、本当に馬鹿だ
だから、絵を描くことは私の人生なんだろと、思ってしまう
絵をかくのがアイデンティティだなんて、きれいごとだ、そんなことじゃない
そんなきれいごとじゃあ
人に認められたい、評価されたいだなんてそんなきれいごとじゃない
そんな恐れ多いことあるわけがない、
私がもっているのは、ほんとうのほんとうに、おぞましいぐらいの欲望だけ
おぞましい向上心と
あらがえないおろかなわたしがいる
可能性をみて止まる事ができない今の自分がいる





 



イエスと答えたにも関わらず何度も後悔しておぞましくて、何度も逃げようとしたのに、結局今日、なぜ決断できたのか。それは、私にとって確実にプラスになるに違いないから。
個展だなんて、自分ひとりだったらやろうだなんて考えるわけがない。
そう考えると、人生に二度とないチャンスを与えられたように思えてくる。友人が背中を押してくれたおかげで、いや、尻尾をつかんで離さなかったおかげで、ようやく決断できた。自分のために、逃げるわけにはいかない。完全に。自分のために。そう、自分の為に…絵をかくのが好きで好きでしょうがない、自分のために







































どうせかきはじめたので、今の自分の考えていることとしてメモをもうひとつ。




私の絵を好きだと、今年一年で一生分ぐらい言ってもらえた気がした。

ほんとうに、これだけは、意味がわからなくて、とんでもないことで、言葉に、できない。
ありがたいとか、もう、そんな言葉ではチープすぎて、言いたくもない
意味が解らない
今ここに、涙が出るほどに、意味が解らない
だって、世の中には、自分なんかよりとんでもない人間腐るほどいるんだもの。
自分の絵なんか、ほんとに、じぶんでも見るに耐えないような、そんなレベルなのに。もはや自分すらフォローしきれなくて、かいてかいてかきまくってみない振りするそんな日常なのに。ほんとに呪われてるんじゃないかってくらい、徹底的にそのへんに散らばってる紙ひっつかんでかきなぐるようなね、そんな、もうなんか、もうなんか、もう…ああ、
どんなにうれしいか…
ただ、自分の欲望の赴くままにかいてかいてかいてかいてかいてかいて、なんにも媚もしない、ただ、自分だけの欲望のままに、そんな、そんなオナニープレイがね、人様に受け入れられるなんて、ほんとに、意味が解りませんよまったく



絵がうまいじゃない、
私の絵が好きだと、
いってもらえる、
このうれしさを

ことばに

することは

できない

です


とかいって、ぼろぼろ泣いているくそう、
涙がとまんねえよチキショウ
本当に、うれしいです、
ここにきて、なんだか初めて、
今までと違う新しい喜びを見つけることができたような
生まれてはじめて肯定されたみたいな、
ちがうなあ
肯定を否定し続けていた自分がはじめて負けたような、そんな

何をいってる
意味が解らん





まさかこういうことになるとは、
とんでもないと思う、こんな若造なのに、そんなことをかみしめてしまう
母さん、とんでもないわ、わたしが生きてる世界は
恵まれすぎだわ




あーーーーーーなんつってーーーー
遺書になってしまう
ああーはーずかしい
今日が過去になって、あーはずかしーって思うんだろうけど
残念ながらこの今という事実はなかったことにはならないんだよなー


さて、本業にもどるぞ、